先に前提としてお伝えしておくと、
・私の考え方に偏りがあること
・元々悲観的な性格であること
・不器用であること
・生々しい表現があること
をご考慮いただいた上で
読み進めていただければと思います。
ダークで、
ズーンと、
深く落ち込んだ時のリアルな話です。
世間は思ったより優しくなかった。
badな時に使う
「思ったより」というのは、
期待値が大きかった時にでるワード。
トイレ、エレベーター、駅、人、
きっと昔よりはうんと使いやすくなってるし、
きれいだし、
優しい人も増えているのだと思う。
それでも、、
それでもひとつひとつが大変。
生まれてくるのを
心待ちにしていた我が子とのおでかけは、
いつの頃からか、憂鬱になる。
一緒にやりたいと思っても、
体力がすぐに底をつくし、
工程を考える時点で疲れて、
結局何もできない。
生きるだけの休日になる。
無事に一日を過ごせることが
とても幸せなことなんですけどね。
なめてた
あまかった
こんなに大変で、
生活してて○にたくなるなんて思ってもみなかった。
こんなに怒鳴る母親になるなんておもってなかった。
かわいいのに一瞬でにくらしくなる。
イライラに○されそうになる。
私が想像したこと以外の出来事は
全てハプニングかアクシデントで。
起きた出来事を受け止めきれず、
すぐキャパオーバーになる。
どう対処しようか考えてると疲れてきて
すぐ考えられなくなる。
どうしたらいいんだっけと、
今まで対処できてたことも
思考が働かなすぎて
できなくなることがある。
怪我をした時は
心配や不安から過呼吸になりかけて、
頭の中がぐるぐる回転しながら
救急車を呼んだことがあった。
「無事に安全に何事もなく」
というありがたみを痛感した。
ひとおもいに
自分のこと○せたらって何度思ったかな。
でも毎回、
「未来のこの子達に会いたい」
「母親の存在はきっと心の支えになる」
このふたつを信じて、
このふたつだけを考えて、
○ぬことができない。
「生きてるだけでマル」ってよくきくけど
こんな母親は、こんな人間は、
いない方がマシだと、心底思う。
「いない方がマシな場合があるんじゃないか」
と思う。
毒親
モンスター
自分がこんな人格の母親になるなんて
思ってもなかった。
90万もらえた一時金のうち、
80万は出産・分娩・入院・費用になった。
無事に生まれた瞬間は幸せだった。
その後お腹を縫うところからは記憶がなくなって
次起きたのは大きな部屋だった
ぼーっとしながら目覚めて
またすぐ寝たらしい。
記憶にない。
その後は痛くて痛くて
寒いのと暑いのとがごちゃまぜで
子どもが生まれて、
身体は軽くなったはずなのに重たい
自分の力で全く動かせない
尿を通す管が入っていて、
点滴もして、
足に機械がついていて
止血のためのおもりがお腹に乗っていて、
ほぼ裸で、、、
「これが大きな仕事を終えた母親の姿なのか」
とがっかりした。
看護師は物の扱いが荒く、
何かをワゴンにポイポイ投げていて。
音はもちろん怖いけど、
自分の身体も雑に扱われてる気がして
妄想が止まらなかった。
「この人の手に私の
点滴のチューブが引っかかって、
針が折れたり、
抜けたり、
皮膚が破けたらどうしよう」
「肘が傷口に当たって
開いちゃったらどうしよう」
と妄想してたら力が入って
呼吸がうまくできなくなってました。
傷口からの血も止まらない、
火傷に似たヒリヒリとした感覚、
生理痛に似ているような痛み、
感覚がごちゃ混ぜ。
「こんな動けない状態で
災害が起きたらどうしよう」
なんて妄想も始まり、
あいまって怖くて涙流してた
ずっと痛み止めを入れてもらってたけど、
痛いし、不安が常にありました。
廊下を誰かの足音が通るたびに
怖くて目が覚める
2時間おきにくる手元が荒い看護師
全く眠れなかった一日目の夜
出産で血は1.8リットル出て行ったのに、
涙は溢れて止まらなかった。
結局出血は24時間以上止まらなかったので
病室で傷をもう一度開いて
どこが縫えてないか探すことになった。
怖くて涙が止まらなかったし、
呼吸もちゃんとできなくて、
頭の中がぐるぐる回転していた。
出血の根源が見つかり
ようやく止まった。
その後は、傷が痛くないように
動くようにした。
お腹の傷を中心に、身体がふたつに分かれてしまいそう。
それを何度か繰り返して
歩けるようになり、
自分の足で子どもに会いに行った。
かわいいなぁ
動いたりするかなぁと
保育器の側でみていたら、
足の力がふっと抜けて倒れた。
傷口がまた開くような感覚があった。
やけどみたいなヒリヒリする感じ。
生まれた後、私はニコニコできるし、
喋れるし、食べられるけど、
身体はボロボロだった。
切った痛みさえなければ
大丈夫だと思っていたけど、
違った。
関節がグラグラして不安定で、
妊娠中はチカラが入らないように
筋肉を極力使わないようにしていたのもあり、
支えとして心細すぎた。
このまま寝ていたら身体が
固まってしまうかもしれない恐怖から
長く同じ態勢でいることもできず
だるさと重さが続いた。
退院間近で病院のアンケートボックスに
長々とつらつらと
その時の思いをかかせていただきました。
退院の時、
看護師長さんが私に謝ってくれた。
その姿勢や目線、
話し方から
人に向き合ってくれる人なんだと感じた。
それだけで安心した自分がいた。
もう私はお世話になることはないし、
子どもがミルクを
上手に飲めるようになったら退院できる。
それまでの関わりだから、大丈夫。
私の妊娠出産はこれにて終了。
次の妊娠があったら、
ハイリスクではない限り
この病院にくることはない。
気持ちの切り替えができた。
看護師長さんに感謝した。
でも、痛みへのトラウマがいつまでも続いた。
検査などで病院に行き、
自分の番になると、
恐怖から息が上がり
目の前がぐるぐるまわって
後ろに落ちそうになる。
担当医が触っただけで
痛くて泣くようになった。
検査のためだけに手術室で麻酔をした。
その麻酔が効く前に触られてしまい、
泣きわめき、
麻酔が追加されたところまで記憶がある。
その麻酔は尾を引き、吐き気が数日続いた。
自分のために病院にいくのに、
本当に大嫌いになってしまった。
育児や家事はほぼワンオペ。
仕事復帰しなければと、焦っていた。
育児と家事のワンオペは
十分に眠れないし、
キャパもいっぱいいっぱい。
この状態のどこで仕事をすればいいのか。
自分の負担が増えるだけの未来が目に見えていて、
考えただけで疲労が溜まるようになった。
我慢すればいいと思っていたのが大失敗。
夫との連携もうまく取れず、
唯一の協力者である夫に、不信感が芽生えた。
「この人は私のことを助けてくれない」
「この人は私の負担を増やしている」
「この人は私と子ども達の状況がみえていない」
伝えようにも、
今まで人に気持ちを
伝えてこない人生を歩んできたからか、
言葉にならないし、
どこから説明していいのかもわからない。
そもそもその時間があったら休みたい。
夫への不信感と不満は
どんどん積み重なって、
3歳頃大爆発した。
・私だけの子どもじゃないのに私1人で育ててる感
・私の仕事復帰を希望する割に負担を分ける姿勢が見られない
・私の協力者でも味方ではない
・私の考えを尊重してくれない
・私のことをたすけてくれない
「私、私、私」
と私中心でよくないなと思いつつも
俯瞰して「これは良くない」と思うことは
どんどん伝えた。
なのでいろいろズボラに工夫してどうにか
行動が起こせるようになった。
私みたいなお母さんが世の中にはいる。
シェアすることで得られる安心があることを
産後に身をもって知ったので、
私もシェアすることにした。
「シェアから得られる安心感」についても
今後触れていきたい。
長々とお読みくださり
ありがとうございます。
気持ちは落ち込んでいませんか?
もし落ち込んでしまったり、
気持ちに変化がありましたら、
コメントで教えてください。
ありがとうございます。
こちらもおすすめ
お得情報
コメント